「更生支援コーディネート」は、罪に問われた障害のある人への個別支援を行う取り組みです。障害のある人が刑事事件に至ってしまう背景には、適切な支援につながっていなかったという場合が多くあります。そこで、福祉や心理の専門家である「更生支援コーディネーター」が、その人が、その人らしく地域で暮らせるよう、本人との面会等を通じて、どんな支援が必要かを考え、「更生支援計画」と呼ばれる支援計画を作成し、社会復帰後の支援体制を構築します。
2003年に山本譲司さんの『獄窓記』(ポプラ社)が出版され、刑務所の中に障害がある人や高齢の人が多くいることが明らかにされました。そして、その後の調査などでも、障害のある人、特に知的障害・発達障害・精神障害のある人が、刑事手続きのなかに多数置かれていることが示唆されています。私たちも、今までの活動を通し、そのことを実感しています。
しかし、これは、決して「障害のある人が刑事事件を起こしやすい」ということを意味するものではありません。障害と犯罪との間の直接的な因果関係は今までの研究等でも否定されています。このような誤解は、障害がある人への偏見に直結するものであり、絶対に避けなければなりません。
では、なぜ障害のある人が刑事手続きのなかに多くいるのでしょうか。
その要因には、さまざまなものが考えられます。たとえば、障害のある人は、挙動不審にみえるなどという理由から、罪を犯したと誤解されてしまうということもありえます。騙されて利用されて、犯罪の片棒を担がされてしまうことが多い、ということもあるかもしれません。
そのなかで、刑事手続きのなかに置かれてしまった障害のある人は、十分な支援(心理的、社会的サポート)に結びついておらず、その結果生じる生きづらさが、事件の背景要因となっているケースは非常に多いです。実際、私たちが出会った当事者の方々は、そのほとんどが、事件の際に障害福祉サービスを利用しておらず、さらにいえば診断を受けていない人もかなりの割合になります。このように、制度の「はざま」に置かれ、なんの手も差し伸べられなかった障害のある人たちが、最終的に刑事事件を起こす状態にまで追い込まれている――そういった現状があるのではないかと考えます。
東京TSネットでは、このような方々を支援する取り組みを行っています。それが、「更生支援コーディネート」です。
更生支援コーディネートは、制度のはざまに置かれ、苦しんでいる当事者の方が、刑事手続きの後、その人らしく生活できる環境を手に入れるためのお手伝いをします。「罪」を理由に排除されることなく暮らせるよう、福祉サービスにつなぐなどしながら本人の意向に沿った生活環境を整えていきます。当たり前ですが、主役は本人です。本人と伴走しながら、その人がその人らしくいられる生活を一緒に描き、実現することを目指します。
更生支援コーディネートは、刑事弁護人からの依頼がきっかけではじまります。
更生支援コーディネートの中心を担うのは、ソーシャルワークの資格や経験を有する「更生支援コーディネーター」です。更生支援コーディネーターは、本人と面会したり、家族などの関係者から事情を聴いたり、さまざまな資料を読んだりして、情報を集めます。そして、それらの情報から、その人の歩んできた歴史を知り、障害特性を捉え、そして、その人がどんな生活を望んでいてそのためにどんな支援が必要なのか、考えていきます。
このような検討の結果にもとづいて、「更生支援計画」と呼ばれる支援計画を本人と一緒に立てていきます。できあがった更生支援計画については、その内容を書面にしたり、法廷でその内容を証言したりもします。
刑事手続きが終了した後も、そこで支援が終了するわけではありません。社会に戻ってきた本人が、その人らしく暮らせるよう、地域の社会資源へと橋渡しをするため活動します。
【不安げな歩さん】
傷害事件で更生支援コーディネーターとつながった60代の歩さん(仮名)。
拘置所ではじめて出会ったときは、緊張感が強く表情が硬かったのが印象的でした。
自身の体調不良も重なり、面会時は不安を訴えることが多くありました。
一方で、更生支援コーディネーターの問いかけにはしっかりと答える几帳面さを持ち合わせていました。
【50歳の頃からはじまった「嫌がらせ」】
歩さんは、高校を卒業後、企業に就職し、まじめに働いていました。数回の転職経験はありますが、どの職場でも業務や友人関係で大きなトラブルはなく、経済的にも安定した生活を送っていました。
地元を離れての転職を契機にひとり暮らしとなり、その後も問題なく地域での生活を送っていました。
職場の人とスキーや旅行に行ったり、趣味のサークルに通う時期もあるなど、歩さんは余暇も楽しんでいたようです。
しかし、50歳の頃から周囲から嫌がらせを受けているという思いをもつようになり、そのなかでも何とか生活をしていましたが、状況は好転することはありませんでした。不安が高まり、生活もどんどん荒れていきました。そして、その嫌がらせから逃れるために、今回の傷害事件を起こしてしまいました。
これまで、医療とのつながりはなかった歩さんですが、刑事手続のなかでおこなわれた精神鑑定で、精神障害があり、それが事件に影響を与えていたことがわかりました。
更生支援コーディネーターと、地域に戻ってからの生活について、医療機関への通院、住居の確保、障害福祉サービスの利用など調整を行っていきました。
【歩さんらしい生活を取り戻す】
裁判の結果、執行猶予付きの判決となり、地域に戻ることになった歩さんは、理解のある支援者、不動産屋に出会うことができ、ひとり暮らしをすることができました。
医療機関への通院、服薬もしっかりと自分で管理しています。支援機関の定期訪問の際には、行政からの郵便物について一緒に確認し、手続きを行っています。それだけでなく、自分に心配ごとがあったときは、自ら支援機関に電話をして解決をしています。
ときどき、美術館に行ったり、スーパー銭湯に行くなど日々のなかに楽しみを見つけているようです。また、支援者から「旅行にでも行ってみては?」と声をかけられたことをきっかけに、旅行を計画しています。
歩さんが不調を感じはじめていた頃に支援者や医療機関と出会うことができていれば、このような不幸な事件は起こらなかったのかもしれません。しかし、今回、支援につながることができたことで、歩さんは再び地域での生活に戻り、歩さんらしい生活を取り戻していっています。
【アクリル板越しの出会い】
小柄で人懐っこい笑顔をした、50代の晶さん(仮名)。
晶さんと初めて出会ったのは、警察署の面会室。晶さんは、スーパーで食べ物と飲み物を盗んだ窃盗事件の被疑者として捕まっていました。
私は、更生支援コーディネーターとして、晶さんと面会をしました。
【「楽しかった」環境の喪失】
晶さんは、学校を中退した後、住み込みで新聞配達の仕事をしていました。雇い主も晶さんを気に入ってくれていて、とても優しかったそうです。晶さんも、新聞配達の仕事は「とっても楽しかった」とのことでした。そうして、晶さんは、20年以上、新聞配達の仕事をしていました。
ある日、突然、雇い主の方が倒れてしまいました。会社の経営は傾き、晶さんは突然、会社から解雇を言い渡されてしまいます。会社の寮からも出ていかなければならなくなりました。
行くあてのない晶さんは、一人で、路上で生活するようになりました。お金もなく、食べ物もない晶さんは、残飯を探しまわり、空腹を紛らわせます。でも、残飯が見つからないこともあります。困ってしまった晶さんは、お腹が減ってどうしようもなくなり、スーパーで食べ物や飲み物を盗むようになりました。
【繰り返してしまう窃盗】
その後、晶さんは何回も、警察に捕まることになります。そのすべてが、路上生活の状態で生活しているなかで、食べ物や飲み物を盗んだ、という罪でした。
今回の事件の少し前にも、晶さんは窃盗罪で捕まり、執行猶予付きの判決を受けています。そして、その判決の後も、すぐに晶さんはまた路上生活に戻ったということです。
「生活保護を受けることは考えなかったのですか?」と尋ねた私に対して、晶さんは、少し恥ずかしそうに笑いながら、「どうしたらいいかわからなかったもんで」と言いました。
【晶さんに必要だったもの】
その後の活動のなかで、晶さんには軽度の知的障害があることが分かりました。私は、晶さんといろいろ話をしながら、社会に戻ってきた場合にどんな支援があったらよいか、考えました。晶さんも、最初は支援を受けることには不安があったと思います。でも、繰り返し面会し、話をすることで、晶さん自身も支援を受けることに前向きになっていきました。
そして、そのような支援の計画を裁判でも証言しました。
結果として、晶さんは裁判で執行猶予付きの判決となりました。
判決後、釈放された晶さんと、生活保護の申請へ向かいました。
そして現在、晶さんは、知的障害のある人のグループホームで、世話人のサポートを受けながら生活をしています。長い路上生活中にぼろぼろになった身体も、少しずつ病院で治療を始めました。
判決からしばらく経った頃、私のところにスーツ姿の晶さんが会いに来ました。障害者雇用枠で働くことを目指して就職活動中だそうです。スーツ姿の晶さんは少し恥ずかしそうにしていましたが、その表情は「どうしたらいいかわからなかったもんで」と言っていたときとは違う、幸せそうな笑顔でした。
【最初の出会い】
建造物侵入、窃盗事件で更生支援コーディネートにつながった、20代の千尋さん(仮名)。警察署での初めての面会時は、好きなアニメの話など興味のある話題については勢いよく話し続ける反面、自信のないことや話したくないことについては急に聞き取れないほどの小さな声になり、視線が合わなくなる場面も多くありました。質問しても、話題がそれてしまうこともあり、コミュニケーションには工夫が必要でした。
【「あいつはどうしようもない」家族から孤立】
これまで、お小遣いがなくなると家族のものを勝手に売ってしまったり、急に家を出て帰ってこなかったりすることが何度もあり、父親からは厳しく叱責され、歳の離れた弟からも馬鹿にされることが多くあったようです。また、以前は就労継続支援B型の施設にも通っていたのですが、他の利用者さんと一度ケンカしてしまったことをきっかけに、あまり行かなくなってしまっていたようです。家族からは「あいつはどうしようもない」という発言が何度も聞かれました。
家族や千尋さんの話から、千尋さんが家族との関係が悪くなってつらい思いをしているときにも、他のことで悩んでいるときにも、千尋さんには日常的に話をする相手がいなかったことが少しずつ分かってきました。
【生活で起きた困りごとや気持ちを話せる相談先】
役所の障害福祉課の担当ケースワーカーと弁護人とともに、千尋さんの今後の支援として、金銭管理などの社会生活スキルを得るための支援や、日常生活における相談先を作ること、それらのための専門機関でのアセスメントが必要であることを話し合いました。
一方で、家族に対しても、千尋さんの障害特性や、千尋さんの思いを、時間をかけて伝えました。家族も、話を聴くうちに、具体的なサポートは難しいが、また一緒に暮らしていきたいと話してくれるようになりました。
【新たな地域生活へ】
裁判を経て、判決の日。執行猶予がついた判決となり、千尋さんは自宅に戻ることができました。千尋さんは今まで通っていた就労継続支援B型事業所に通うとともに、定期的に役所に行きケースワーカーと面談し、障害者福祉総合センターで面談や心理アセスメントを受けることになりました。
その後は、就労継続支援B型事業所を休むことはあっても、役所やセンターでの面談の日は必ず30分前に来ているようです。千尋さんは、「相談できる人がいるのは安心する」と言っています。マンツーマンでゆっくりと話す時間を今まで持つことがなかった千尋さんにとって、面談は自分のことを知る時間、自分の困ったことを話せる場となりました。
面談の回数を重ねていき、千尋さんには「家から出て自立したい」という目標ができました。地域の支援者は、その千尋さんの目標を叶えるため、千尋さんを含めてみんなで話し合いを重ね、最終的に千尋さんはグループホームで生活をすることになりました。
その後も、すべてが順調にいっているわけではありません。しかし、千尋さんは、自立という目標に向けて、グループホームでの生活や就労継続支援B型事業所への通所をがんばって続けています。
ソーシャルワーカーと弁護士が協力して行う「入口支援」という新しい支援のかたち。『更生支援計画をつくる』の第2版が出版されました。前回の版同様に刑事裁判の流れから更生支援計画の立て方までわかりやすく説明している他、その前提となる様々な知識や参考書式・更生支援計画の例も大幅に増量して解説しています。書店やオンライン書店で購入いただけます。